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2010年5月31日更新(その2)
5月29日。その1。
休む間もなく、六月博多座公演の稽古開始です。歌舞伎座閉場式などがあったため、五月公演の初日が各劇場とも遅く、松竹座、御園座も昨日が千秋楽で、昨晩遅くに帰京した人。今朝早く帰ってきた人、様々です。
しかし!明日、博多で昼間から船乗り込みがあるので、今日中に博多入りです。
あわただしいです。
(2010年5月29日 記)
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2010年5月31日更新(その1)
5月28日。
おかげさまで本日、無事に千秋楽をむかえました。
千秋楽は『やっと終わった!』という達成感と、『あーあ、終わってしまった』というガッカリ感が交錯する日です。
歌舞伎座が閉場して新橋演舞場を中心にしての心機一転の最初の公演。演者は違ってもさよなら公演と三つも同じ演目。いろいろ考えながらの公演でしたが、染五郎さん、海老蔵さんを中心にみんながそれぞれに力を発揮して、燃えるような思いお芝居にぶつけたのがお客様にも伝わり、連日大入りの盛況ぶりでした。
私はもちろん、大役を勤め終えた若手たちには、とても良い勉強になったと思います。
本当に楽しい公演でした。
(2010年5月28日 記)
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2010年5月28日更新(その5)
5月27日。
千秋楽を明日に控えて、楽屋内もにわかにあわただしくなってきました。
新橋演舞場の楽屋は地上三階。地下二階。その楽屋にエレベーターが無いのです。つまり地下二階の人が三階まで上がるには八個の階段を上がらねばなりません。衣裳・床山の部屋は地下一階にあり、役者の楽屋へ行くのに何度階段を往復するか…本当にかわいそうでなりません。その上、段の高さが微妙に高く、コンクリートですからとても固く、高齢のスタッフ・俳優はもちろん若い者も、膝痛、腰痛を訴えています。
今は、スタッフ・付き人には断然女性が多いのですが、新派、東をどりを中心にやる小屋のはずなのに、女性トイレがありません。
大一座になると楽屋の絶対数も足りません。今月も演舞場ビルの9階をお借りして楽屋にしていますが、次回からはそれも借りられなくなるそうです。
以上のことなどで疲れが歌舞伎座の倍以上に感じます。
これから三年、この劇場でこのまま勤めるのはかなりたいへんだと思います。
(2010年5月27日 記)
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2010年5月28日更新(その4)
5月26日。
今日はちょっと嬉しいことがありました。
先日、母の日に秀太郎兄さんに『満江母上様』としてカネーションをプレゼントしたら、母上様からも良いものを頂戴したばかりか、今日、『満江ママ・三階ファンより。揚巻さま』と美味しいおじゃこをいただきました。本当に洒落たいただきものでなんだか心が幸せになりました。
(2010年5月26日 記)
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2010年5月28日更新(その3)
5月25日。
隣の楽屋にいる勘太郎は、『おくりびと』(赤坂ACTシアター)の初日が演舞場千秋楽の翌日なんです。つまりすでに稽古追い込み。かなりたいへんそうです。
海老蔵さん・芝雀さん等ロンドンチームも1日出発。
みんな頑張ってるのだ。
私も頑張ってせりふ覚えます。
(2010年5月25日 記)
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2010年5月28日更新(その2)
5月24日。
雀成会も終わって、いよいよ本格的に来月の稽古です。毎月のことですが、この時期が一番たいへんです。
せりふの多いお芝居の時は、今月のせりふか?暗記中のせりふか混乱してしまう時があります。
千秋楽の翌日には博多入りしなくてはならないので、かなりハードスケジュールであります。
(2010年5月24日 記)
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2010年5月28日更新(その1)
5月23日。
今日は中村流の舞踊会、雀成会を国立劇場で開催いたしました。父が家元になってから始めた会で、今年、ちょうど30回目の節目をむかえました。
今回は、姉の光江が中村梅彌の名跡を二代目として襲名いたしました。この名跡は祖母が名乗っていたものです。父は早くに祖父・五世福助を亡くして、祖母と二人三脚で芸道に精進してまいりました。その祖母が亡くなった暮れに、姉がこの世に生を受けて、父は祖母の生まれかわりのような心地だったのでしょう、我々兄弟の中でも、特に姉を溺愛いたしておりまして、我々他の兄弟はいつもヤキモチをやいていたほどで、今回の襲名は祖父母はもちろん、父がことのほか喜んでおります。
なにとぞ、中村梅彌。よろしくお願いいたします。
私も『吉野山』が終わって、国立劇場に駆けつけて『廓八景』を勤めさせていただきました。
児太郎の『藤娘』を挟んで、新梅彌の『娘道成寺』です。
私もお祝いに久方ぶりに所化に出演いたしました。
道行が終わり、父も児太郎と所化で登場して、皆で口上を述べさせていただきました。
おかげさまで本当にたくさんのお客様が詰めかけてくださって、涙がこぼれました。
本当にありがとうございました。
(2010年5月23日 記)
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2010年5月24日更新(その4)
5月21日。
今日は吉野山のお話をしましょう。
ご存知の通り『義経千本桜』の四段目です。
歌舞伎で上演する場合には、義太夫のみで踊る通称『てつんと』。と清元と義太夫の掛け合いで勤める『弥生は雛』が代表的です。義太夫のみの上演は澤潟屋さんが得意となさっていて、花柳流で踊ります。あとの方はたいてい、清元との掛け合いで、忠信の物語から義太夫が入ります。
忠信のこしらえも千差万別で、頭を車鬢になさる方。お扇子も、こぼれ松葉の方。軍扇を使用なさる方。
肌を脱ぐと、浅黄色の方。赤地の方。赤地でも、忠信の紋である源治車をあしらう方。源治車を首抜きになさる方。
静が入ったあとに衣裳をぶっかえって、白地に狐火になさる方等、様々です。
この場に登場する藤太は文楽いわゆる本業では登場しません。歌舞伎ではたいがい出てきますね。
また静御前ですが、赤地の対、もしくは常磐衣を着用します。中振り袖に白の腰巻き。姫扇に京草履…紫の縁取りのある草履。
今回、私が着ておりますのは、祖父・五世福助のモノクロのプロマイドから、コンピューターで色を復元して『だいたいこんな色であったろう。』と作ったものです。
静の方を申し上げますと、花道の出は山を登ってくる設定なので、杖をついて吉野の桜を見ながら登場します。花道の七三…花道を十として、舞台寄りに三、揚幕から七を総称して七三(しちさん)と言います。逆に、三七は『見返り』と言います。…では義経との再会を信じて、義経恋しと舞います。
本舞台に来て、義経から預かった初音の鼓を取りだし、義経を思ってこれを打ちます。ご承知の通り、これはこの場に登場する、忠信に化けた子狐の親狐の皮で作った鼓なので、親狐の呼び声と思い、どこからともなく忠信に化けた子狐が登場するのです。
鼓の音につられてスッポンから忠信が現れます。
本舞台にかかり遅参したことを静に詫び、吉野山の景色に見惚れます。
ここで二人のちょっとした戯れがあり、弥生は雛のくだりにかかります。
この道行は恋人同士のものでなく主従のものだということを、常に頭に入れて勤めなくてはなりません。
また戯れ踊るうち、忠信が初音の鼓を手に取り頬ずりするのを、静が後ろから取りあぐねるくだりがしどころです。
互いに形見を…で忠信は鳥居前で義経から貰った鎧を出し、静はその上に義経の顔に見立てて初音の鼓を置きます。
『人こそしらね〜』で静は胴服の片肌を脱ぎます。父や歌右衛門おじは丸ごけ(帯留めの太いもの)が赤でしたが、梅幸おじさんは必ず白を締めて、ここで持ち紙(胸に入れている懐紙)を抜いていらっしゃいました。それが素敵だったので私は真似をさせていただいています。
義経が住吉浦で吹き上げられ吉野にいることをつげます。
これから忠信の物語になります。忠信の物語に出てくるのが薙刀(なぎなた)。
そのあと静が話す教経が持っているのが弓。両者の持ち方の違いも見ていただきたいです。
忠信の兄、継信が射たれたことを嘆く二人。
そこに藤太が登場します。
立ち回りは忠信が狐であるところから神社の名称が出てきますね。
藤太を追い払い、二人で義経の後を追って下山します。ので、静の引っ込みは下りなので杖をつきません。
まぁ、ざっとですが、ご覧になるときの参考になればしあわせです。
(2010年5月21日 記)
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2010年5月24日更新(その3)
5月20日。
今日、『吉野山』の時、清元の山台に、義太夫の葵太夫さんのご子息が出演なさっています。
葵さんは僕と同い年。だんだん子供達が活躍する世代になってきたのかと…少々、あせり気味です。
(2010年5月20日 記)
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2010年5月24日更新(その2)
5月19日。
今日は合間の時間に外務省が発行し、世界各国に翻訳され配布される雑誌『にぽにか』の取材がありました。
3月のヨーロッパでの活動に興味を持ってくださり、たいへん楽しい取材でした。
ポール・クローデルが祖父・五世福助に書き下ろしてくださった『女と影』をパリで上演したいのが当面の願いですが、日本、中国、韓国、ベトナムなど、アジアの国々の演劇をコラボレーションして、ヨーロッパで上演したい。という夢があります。
外務省様どうぞお力を貸してくださいませ。
(2010年5月19日 記)
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2010年5月24日更新(その1)
5月18日。
今日は七之助の27回目のお誕生日です。昭和58年生まれ。
私はその年、初役で『吉野山』の静御前を勤めておりました。
あー、あまり進歩がありませんね。
7月演舞場の狂言が発表になりました。昼の部は『名月八幡祭』の美代吉、『金閣寺』の雪姫、夜の部は『暫』です。
『八幡祭』は納涼歌舞伎の第一回目に初役でやらせていただいて以来何度か勤めさせていただきました。演舞場では初めてです。
『金閣寺』の雪姫は襲名興行でさせていただいた思いの詰まった狂言です。
両方とも初心にかえって、新たに勉強して勤めたいです。
これまで『女暫』の出演はありましたが本物の『暫』は初めてです。特に団十郎様の権五郎で出演させていただけるのは夢のようです。
(2010年5月18日 記)
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2010年5月21日更新
5月17日。
今日は週刊サンデーに連載中の『國崎出雲の事情』と云う歌舞伎漫画の作者のひらかわあやさんが、楽屋取材にみえました。
とても静かなお嬢様で、なかなかしゃべらないの。アーティストなのですね。
でも衣装・床山・小道具・名題下のどの部屋にも愛読者がいて、いろいろ説明をうけていらっしゃいました。
なかでも松本錦一くんは大ファンで、ファンレターを手渡ししておりました。
この漫画がきっかけで歌舞伎を観に来てくださる方が増えたら嬉しいです。
『國崎出雲の事情』とてもおもしろいので、ぜひ一度読んでみてあげてくださいませ。単行本も絶賛発売中であります。
(2010年5月17日 記)
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2010年5月17日更新(その2)
5月15日。
新聞を読んでいたら、池袋にある東京芸術劇場の芸術監督になった野田秀樹さんが、この劇場で自分が芝居をする時は、高校生は入場料1000円にするとおっしゃってました。
だんだん小劇場も厳しくなって入場料が年々高くなってしまって、劇団も劇団員…もちろん来てくださるお客様に負担がかかってしまいます。
統計によると年々舞台人口が減っていて、大阪では小劇場が続々潰れています。
歌舞伎も入場料を安くできないものか?考えあぐねているところです。
(2010年5月15日 記)
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2010年5月17日更新(その1)
5月14日。
今朝、ニュースを見ていて『大田原市で子宮頚癌のワクチンを無料接種』とのこと。実は先月、橋之助に仁科亜希子さんからメールがあって『このワクチンを小さいうちに接種すれば80%の確率で癌にならずにすむ。自分も病気で苦しんだので、このワクチンを国で無料化して頂くよう、小沢幹事長のもとを訪ねたら、著名人の署名を集めてくるように言われたので協力してほしい』とのこと。
なぜ『著名人の署名』かは理解し難いのですが、毎年、この病気で2500人の尊い命が失われていると聞き、賛同しました。
今回の大田原市の英断は素晴らしいことだと思います。
ぜひとも、このワクチン接種が全国レベルで行われるように、皆様にもご協力をお願いしたいです。
(2010年5月14日 記)
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2010年5月14日更新(その5)
5月13日。
やはり揚巻さんの拵えは重いです。
しかし、この重みにこの役の重さが含まれているのではないかと、噛みしめながら勤めております。
若いといいながら、海老蔵さん、染五郎さん、七之助達もちょっと疲れが見えます。当たり前といえば当たり前ですね。三人共、いい意味での『金太郎飴』状態ですものね。
勘太郎も昼の部が二つ終わって、来月の赤坂ACTシアター『おくりびと』の稽古が連日、夜10時頃まであるようで、稽古疲れ?しています。
ところで、演舞場って照明暗くないですか?
パッと明るくないような気がいたしますが、皆様どう思われますか?
そういえば、歌右衛門おじは新作以外の歌舞伎で、客電(客席の照明)を暗くするのをたいへん嫌っておりました。『歌舞伎はお客様のお顔が拝見できるぐらいがちょうど良い』と言うのが口癖でした。
なんか近頃、少し分かるような気がいたします。
(2010年5月13日 記)
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2010年5月14日更新(その4)
5月11日。
来月の博多座の打ち合わせが始まりましました。
先日、テレビを見ていたら、中国人観光客が増えているそうですね。確かに銀座も中国の方がたくさんいらっしゃいます。また韓国の観光客の方も多いですよね。
そこで、中国語・韓国語のイヤホンガイド作ったら、中国・韓国の方も歌舞伎に来てくださるようになるのではないでしょうか?
イヤホンガイドを早急に作るのがたいへんなら、せめて、中国語・韓国語のチラシもしくはパンフレットを作るのはどうでしょう?
特に博多なぞは韓国からすぐなのですから、空港、船着き場などに韓国語のパンフレットを置くのは効果的だと思います。
我々だって、せっかく中国へ行ったら京劇見たいし、韓国行ったら古劇見たいし、韓流スターのお芝居見たい。でも切符の購入先はおろかどこでやっているかもなかなか分からない。だから手引きが必要だと思います。
歌舞伎のサイトも日本語と小さく英語だけで、どうやって楽しめば良いかは書いてありません。
なんとかおもしろいサイトを立ち上げたいのですが…
皆様のご意見を聞かせてくださいませ。
(2010年5月11日 記)
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2010年5月14日更新(その3)
5月9日。
勘三郎兄さんが、ゴルフの青木功プロとトランペット奏者の日野皓正さん主催の世界の難病に苦しむ子供達を救う、チャリティープロアマゴルフで、アマチュア5位になりました。凄い。ボードに名前が載ってるんですよ。
なんでも一生懸命やる兄さんならではです。
はぁ〜ゴルフしたいです。
(2010年5月9日 記)
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2010年5月14日更新(その2)
5月6日。
とうとうGWも終わりですね。GWを満喫なさった方はなかなか普段の生活のリズムに戻るのがたいへんではありませんか?
先日、父の後援会長の芝翫香社長の木下社長が阪神タイガース・ビリケン人形をくださいました。ビリケンさんはご存知、大阪・通天閣にいる、守り神様です。頭を撫でるとご利益があるそうで、タイガースの帽子をなでなでいたしております。
いいことがありますように。
(2010年5月6日 記)
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2010年5月14日更新(その1)
5月5日。
子供の日ですね。実家には曾祖父、祖父の残した五月人形があります。普段は早稲田演劇博物館に預かっていただいていますが、一年に一度対面します。
ふと考えると、世間様はゴールデンウィークなのですね。なんでもゴールデンウィークの語源は、日本映画全盛期に興行成績がのびたところから大映宣伝部から出たネーミングと聞きました。
私共は、歌舞伎さよなら公演、慰霊祭、閉場式そして稽古、五月公演と休みなく頑張っております。客席もゴールデンウィークでお客様がたくさん詰めかけてくださっていて、それがなによりの癒しであります。
ゴールデンウィークが明けても、ぜひぜひ演舞場にいらっしゃってくださいませ。
(2010年5月5日 記)
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2010年5月10日更新(その4)
5月4日。
歌舞伎座が閉場して、新橋演舞場歌舞伎公演の第一歩の初日です。とはいうもののこの4年、吉右衛門兄さん中心で5月は演舞場だったので私としては『恒例』となってます。
若手花形中心の芝居のせいか客席も若いお客様が多いようです。とは言うものの、私もパワー全開で臨みます。
静御前と揚巻。大好きなお役で、静御前を前回演舞場で勤めた時は、猿之助兄さんとご一緒で、『ニューディレクション歌舞伎』と題し、舞台一面桜ばかりで、『金閣寺』のように大量の桜を降らせて踊りました。とても美しいのですが、舞台に散った桜で足が滑って、決まり決まりに苦労した思い出があります。猿之助兄さんの『吉野山』は義太夫で勤めるのですが、踊りの中で忠信が後ろ向きで静に扇を投げるシーンがあるのです。通常の舞台だと、静はまったく動かず、まさにポケットキャッチだったのですが、ニューディレクションの時は狙いが定まらないのか、右へ左へ飛んできたのを思い出します。道具でも微妙なものです。
今回はずいぶん年下の忠信です。設定が通常の道行と異なって主従の間柄なので、その点は楽です。勘太郎とこんなに大きな狂言を一緒にするのは夢のようで楽しいです。
もう一つは揚巻。なんといっても、大役中の大役です。曾祖父の五代目歌右衛門も九代目団十郎様の助六の時、揚巻を代役させていただいて、スターダムに乗ったという。成駒屋にはたいへん大切なお役です。
生酔いの出ではたっぷり色気を見せて、意休への愛想づかしでは、吉原の御職(吉原一の花魁。吉原に限って御職と言います)の貫禄。後半の送り出しで、満江への心使い。助六との愛情関係。助六の大望成就への理解。
今回は『水入り』がつきますので、やはり傾城の意気地。貫禄。そして助六への愛情。
本当にやりがいのあるお役です。
また海老蔵さんの助六が超カッコいい。ぜひとも必見です。
(2010年5月4日 記)
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2010年5月10日更新(その3)
5月3日。
初日通り舞台稽古です。お兄さん方も指導にみえていて、ピリピリムードです。
我々も第四世代と言われた、勘九郎、八十助、児太郎で始めて『仮名手本忠臣蔵』の通しをしたのがこの演舞場でした。判官を梅幸おじさん。若狭之助・石堂を羽左衛門おじさん。顔世・力弥を父。道行を先々代藤間勘十郎師匠。平右衛門を二代目松緑おじさん。勘平を先代勘三郎おじさん。そして、お軽を歌右衛門おじと…そうそうたる指導陣で、稽古中とても緊張したのを思い出します。しかしその時の、一言一言のご指導が我々の芸の血となり肉となり今の自分があると思っています。
みんなもたくさんお小言、注意をいただいて、どんどんうまくなってもらいたいです。
(2010年5月3日 記)
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2010年5月10日更新(その2)
5月2日。
歌舞伎座さよなら公演の催しが続き、五月演舞場の稽古日数がわずか三日という過酷なスケジュールです。中でも七之助は四役中三役が初役でそれも大役ばかりで、ただでさえ細い顔がますます細くなっています。
さて今月の楽屋で、揚巻を勤めるに当たって税理士の栗田先生が佐藤邦雄先生にお願いしてくださり、揚巻の絵で暖簾を作ってくださいました。その暖簾を初日に間に合うように、芝喜松さん、芝のぶくんが日頃お世話になっている山桜桃(ゆすら)のママさんがわざわざ届けてくださいました。
勘太郎と隣同士なのですが、勘太郎も元祖爆笑王さんから森田まさのりさんの似顔絵の暖簾です。
二人とも新しい暖簾でますますやる気マンマンです。
(2010年5月2日 記)
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2010年5月10日更新(その1)
5月1日。
歌舞伎座閉場の感慨に浸る間もなく、演舞場での五月花形歌舞伎公演の稽古開始です。
『熊谷陣屋』は幸四郎兄さんが、千代は玉三郎兄さんが、意休は左団次兄さんが、白酒売りと勘太郎・七之助には勘三郎兄さんが、また、個人的に団十郎兄さんがそれぞれ厳しく指導をしてくださっています。
出演者はちょうど我々が『納涼歌舞伎』を始めた年頃です。みんな『芝居小僧』で自分たちの工夫も入れながら、先輩方の指導をスポンジが水を吸うように、どんどん吸収してうまくなっていきます。
私も楽しくて仕方がありません。
(2010年5月1日 記)
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2010年5月7日更新
4月30日。
歌舞伎座閉場式です。
寂しいです。
こんなに出勤するのに気が重いのは初めてです。
…歌舞伎座とお別れなんて。
あまりにも思い出が多すぎて、パニックになってしまいそうです。
でも閉場式にライフワークにしている『道成寺』を踊らせていただけることは自分の人生において、大きな素晴らしい思い出になることでしょう。
玉三郎兄さんと…
平成生まれの所化たちに囲まれて…
(2010年4月30日 記)
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2010年5月6日更新(その3)
4月29日。
今日は12時から『歌舞伎座修抜式』が執り行われました。歌舞伎座に携わった者が一同に介して、歌舞伎座に対しての感謝と、物故俳優へ慰霊式が行われました。
良く役者の魂は劇場に帰ってくるといわれますが、鉄砲洲の神主さんが先輩俳優の御霊を呼んだ時に、本当に風が吹いて、白いものが見えた気がしました。
役者・関係者が舞台上に献花して、先輩方の鎮魂を祈りました。
修抜式が終わって、明日の閉場式で踊る『五人道成寺』の舞台稽古です。
五人で踊るのは稀な事なので、衣裳方さんも花子の衣裳を五枚揃えるのは、かなりたいへんだったようです。
舞台稽古終了後、五月演舞場公演の稽古です。
さよなら公演で日延べ(元来25日公演)した上に修抜式、閉場式とあるので、演舞場の稽古がたった三日しかないのです。
団十郎兄さんが『団菊祭』で大阪にいらっしゃるので、その前に、海老蔵さんの『寺子屋』と助六の『水入り』の稽古です。
もちろん、みんなすごい気迫で若さがみなぎっています。
団十郎兄さんも細部まで指導してくださって、心強いです。
団十郎兄さん、海老蔵さんの親子関係はとても素敵で、いつもうらやましく拝見しています。親子だと照れがあってなかなかはっきり言えないのですが、その関係が指導する方も受けとる方もとても真摯で学ぶところが多いです。
(2010年4月29日 記)
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2010年5月6日更新(その2)
4月28日。
とうとう歌舞伎座本公演の千秋楽の日がやってきてしまいました。
昨年の一月にさよなら公演がスタートした時には、まだまだと、たかをくくっていたのですが…時は無情に過ぎて、思えばあっというまでした。
さよなら公演中はなるべく歌舞伎座にでられるようにお願いして、16ヶ月中、11ヶ月出演させていただきました。これまで見守って育ててくれた歌舞伎座への、ささやかな恩返しです。
父もまだ微熱があるようですが、人一倍思い入れがあるようで、解熱剤を点滴して出演を決めました。
我々、役者・スタッフも変なテンションですが、お客様もなごりを惜しんでいらっしゃるようで、なんだかトランス状態です。
マスコミ各社がこぞって取り上げてくださったおかげで、歌舞伎座を取り囲むお客様も日に日に増えてきました。
売り出し以来の大入で、切符が購入できなかったお客様には本当に申し訳ないかぎりです。
一部・二部、そして三部の『実録先代萩』が終了して、いよいよ『助六』です。
客席も最高潮です。
揚巻さんが出て、いよいよ歌舞伎座最後の本公演の出番です。お客様が温かい拍手で迎えてくださいます。
なんだか感無量で、いつもの通りに勤めようと思っても、自然に感傷的になってしまいます。
白玉の呼び止めが済み、玉三郎兄さんと顔があって涙が込み上げてきました。
揚巻さんの入りに、舞台から見る歌舞伎座の風景を目に焼き付けました。
またまた感謝の念でいっぱいです。
(2010年4月28日 記)
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2010年5月6日更新(その1)
4月27日。
未明に突然、母から電話があって『父が39℃の発熱、もしかしたら代役を・・・』とのこと。
元気そうでもやはり高齢なので、毎月父の役は、なんとなく気にしていたのです。今月は気力・体力ともに充実していたので、安心しきっておりました。油断大敵です。
『実録先代萩』の開演中はちょうど白玉のメーク最中で、芝居は見られないのであります。
幸いなことに孝太郎さんが千之助さんをビデオ撮影していたものに浅岡も映っていました。
孝太郎さんは親切にVTRをわざわざ自宅まで届けてくださいました。ありがとうございます。
この作品は実際にあった伊達家の騒動をかなり実名に近い形で黙阿弥が発表して大評判をとった狂言です。初演は浅岡が助高屋高助、小十郎が五代目菊五郎、鐵之助が四代目芝翫、千代松が六代目菊五郎だったそうです。
浅岡のセリフがややこしい、なかなか頭に入らず焦るばかり・・・。
朝方までかかってしまいました。朝9時にまた母から連絡があって、やはり代役とのこと。
歌舞伎座さよなら公演で大役の代役をさせていただける。それも父の…焦りを感謝に変えて一生懸命に勤めました。
公私ともにいろいろ気にかけてくだる幸四郎兄さんも応援してくださって、どうにか勤められました。
(2010年4月27日 記)
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2010年4月30日更新
4月26日。
いよいよ千秋楽まであと3日。寂しさがひしひしと押し寄せてまいります。
そんな中で閉場式の『京鹿子娘道成寺』の稽古をしました。
玉三郎兄さんがリーダーで各パートの分担を決めました。
道行を玉三郎さんと私。
金冠・言わず語らずを時蔵さん。
まり唄は五人で、三段笠は芝雀さん。
恋の手習を玉三郎さんと私。
山づくしを玉三郎さん、時蔵さん、芝雀さん、私。
ただ頼めを魁春さん。
振り鼓を魁春さん、玉三郎さん。
それで、幕切れはもちろん五人です。
歌舞伎座最後で大好きな道成寺を踊れるのは最高に幸せです。
(2010年4月26日 記)
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2010年4月28日更新
4月24日。
今日は来月の『熊谷陣屋』で相模を勤める七之助と、藤の方を勤める松也くんの稽古をしました。
七之助は相模の他に、白玉、戸浪と初役三つに、おなぎさん。かなりたいへんです。再演もたいへんですが、初役三つはハードです。おまけに大役でかなりプレッシャーもかかるでしょう。
二人とも真摯に大役に取り組んでいて好感がもてます。今の年にしかできない『若さ』でぶつかってもらいたいです。
(2010年4月24日 記)
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2010年4月26日更新(その2)
4月23日。
今日も朝から冷たい雨が降っています。
皆さん『1Q84』お読みになりましたか?私、はまっております。
読書は好きなので今月になって、7冊も読んでしまいました。なかでも『モンスター』って美容整形を題材にした本がおもしろかったです。
本の趣味が似ているので、よく勘太郎と交換して読んでいます。
DVDもよく観ます。映画館へ行けばいいのですが、ぐずぐずしながらDVDをかけて観るのは至福の時です。英会話のヒアリングにもなるので一石二鳥であります。
(2010年4月23日 記)
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2010年4月26日更新(その1)
4月22日。
しかし寒暖の差が激しいですね。冬物のコートを引っ張り出してまた着なくては。
当初は『桜が咲いて雪が降る』なんて喜んでいましたが、今ではそんなに驚く状況ではなくなってしまいました。
今日は天気が悪いせいか?気圧の加減か?朝から頭が痛いです。
しかし花粉はだいぶ落ち着いたのか、そちらのほうはだいぶ楽になりました。
「助六」出演後に三津五郎先生が駆けつけて、平成生まれの所化の特訓です。厳しいお稽古も大事なことです。おかげでだいぶ揃ってきました。
(2010年4月22日 記)
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2010年4月23日更新(その2)
4月21日。
今日はヨーロッパ公演で協賛していただいた、朝日新聞、日本テレビにお礼にうかがってきました。
10時に朝日新聞へ。常務を始め事務方の皆さんがお忙しい時間を割いて面談してくださいました。
もちろん日本文化に理解があり、今回のワークショップにたいへん興味を持ってくださって、『ぜひ日本でも…』と、いろいろ協力してくださるとのこと、嬉しいかぎりです。
海外発信も大切ですが、日本の皆さんにも日本文化に興味を持っていただいて、レクチャー、ワークショップなどを通してもっと身近に感じて『歌舞伎は敷居が高い』と言う概念を払拭したいと思っているのです。
11時から日本テレビにうかがいました。ここでも秒単位のスケジュールを割いて、裏梅会会長の氏家議長が会ってくださいました。
会長は私がもっとも尊敬する方で、83歳とは思えないバイタリティーに溢れたグローバルな思考をお持ちのダンディーな方です。
会長とお話させていただくと、パワーアップした気分になり、なにかに挑戦したくなってしまいます。
今回のヨーロッパ公演でも多大なご尽力を賜り、ただただ感謝するばかりです。
(2010年4月21日 記)
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2010年4月23日更新(その1)
4月20日。
4月30日の閉場式で、玉三郎兄さん、魁春兄さん、芝雀兄さん、時蔵兄さんそして私の5人でパートを分担して『道成寺』を踊ることになりました。
そこで平成生まれの役者で所化をつとめることになりました。
平成生まれの年の順で・・・種太郎くん、萬太郎くんを筆頭に、壱太郎くん、巳之助くん、新悟くん、廣太郎くん、竹松くん、右近(尾上)くん、種之助くん、米吉くん、隼人くん、廣松くんそして児太郎。
みんな若い。(当たり前かぁ。)
三津五郎先生指導の元、終演後、毎晩、特訓であります。
歌舞伎座最後の舞台。みんなの稽古にも熱が入ります。
未来の歌舞伎を背負っていくみんなに三津五郎先生の厳しい指導が続きました。
(2010年4月20日 記)
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2010年4月20日更新(その4)
4月19日。
今日は私の裏梅会の副会長を勤めてくださり、今回のヨーロッパ公演でも多大なご支援を賜った参議院議員の藤井先生に、公演の事後報告とお礼に議員会館のオフィスにお邪魔いたしました。議員会館の内部を撮影させていただこうと思っていたのですが制約が厳しくて撮影できませんでした。
ご承知の通り、今は石原都知事の命名なさった新党『たちあがれ日本』の立ち上げに尽力をつくされていらっしゃいます。藤井先生にお目にかかって、ものすごいオーラを感じました。人間、物事を決起している時はこんなにバワフルなのかと、改めて感心いたしました。
『たちあがれ日本』では日本の伝統文化にも力をいれてくださるようで、今、話題の事業仕分けなるもので、文化の経費がどんどんカットされるなかでありがたいお話をうかがうことができました。
ヨーロッパ、アメリカに行くと、国が大劇場はもちろん、小劇場や映画、ミュージカル。演劇学校の支援をしてくれているのをみていると、ただただうらやましいかぎりです。
『たちあがれ日本』に期待したいです。
(2010年4月19日 記)
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2010年4月20日更新(その3)
4月18日。その2。
来る5月23日に国立劇場大劇場で、手前ども中村流舞踊会『雀成会』を開催いたします。今回は姉の光江が梅弥を襲名いたします。梅弥は祖母の名乗っていたもので、成駒屋には大切な名跡です。
その『雀成会』で、児太郎が『藤娘』を勤めます。その下ざらいが国立劇場大稽古場でありました。
親子は難しいですね。見ていてイライラしてしまって、つい短気になってしまいます。
なるべく冷静に指導できるように深呼吸しながら見ておりました。
(2010年4月18日 記)
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2010年4月20日更新(その2)
4月18日。その1。
我々夫婦のお仲人であり、公私ともにお世話になっていた、松竹・永山前会長の奥様が7年余りの闘病生活の末、15日に亡くなられ、ご葬儀にうかがってまいりました。
3年前に永山前会長が亡くなられて寂しい限りでしたが、歌舞伎座サヨナラ公演の最後の月に奥様が召されて、一つの時代が終わったような気がいたします。
心からご冥福をお祈りいたします。
(2010年4月18日 記)
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2010年4月20日更新(その1)
4月17日。
来月、新橋演舞場で海老蔵さんの助六に揚巻を勤めさせていただきます。
そこで、送り出しに着る打ち掛けの図柄を、団十郎兄さんのご紹介で中島千波先生にお願いすることができました。
今日、中島先生から『描けました』とご連絡をいただいて、早速いただきに上がりました。
先生のお宅にうかがうと、二階のアトリエに案内いただきました。
明るく広いアトリエの奥に輝く打ち掛けが…。先生お得意の桜の絵です。拝見したとたんに、あまりの感激で鳥肌がたちました。
和歌山県の樹齢300年あまりの桜をモチーフになさったそうです。
写真では分かりにくいかもしれません。ぜひ演舞場に本物を見にいらっしゃってくださいませ。
またまた幸せな気分でいっぱいです。
(2010年4月17日 記)
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2010年4月19日更新(その3)
4月16日。その2。
歌舞伎座閉館に伴って、楽屋に置きっぱなしになっている荷物整理を橋之助さんが中心になって行っています。
誰のものなのか?分からないもの。また故人のものなどもあります。
今日、楽屋入りすると大騒ぎ。猿翁おじさまの湯呑み、痰吐き、中啓などが出て来たそうです。
ご承知の通り、猿之助兄さんのお祖父様。亀治郎さんの曾祖父で、没後50年あまりたっています。きっと心をこの楽屋に残して、後輩の我々の歩みを見ていてくださったのか?そう思うと、本当にいろいろな役者の思いの詰まった小屋だと、改めて感心いたしました。
(2010年4月16日 記)
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2010年4月19日更新(その2)
4月16日。その1。
しかし寒いですね。まるで冬です。しまいこんだダウンジャケットをあわてて出してしまいました。
今日は先代勘三郎おじさまのご命日です。
浅草のお寺にうかがってきました。
さっき、テレビの映像を見ていたら、箱根は積雪10センチとか。まさに桜が咲いて雪が降る。『関の扉』の世界です。
きっと、むこうで、白鸚のおじさまと歌右衛門のおじとお三人で『関の扉』を演じているかもしれませんね。
(2010年4月16日 記)
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2010年4月19日更新(その1)
4月15日。
今日はやはりヨーロッパ公演で協賛していただいた、読売新聞社にお礼にうかがってきました。
老川社長がお忙しい時間をぬって、会ってくださいました。
読売新聞さんには元日の特版に親子三人で特集記事を載せていただいて、今年はお世話になりっぱなしです。
文化面でもいろいろとご協力いただいて心強いかぎりです。
老川社長にも興味深い楽しいお話をうかがって有意義な時間を過ごすことができました。
またまた感謝です。
(2010年4月15日 記)
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2010年4月16日更新
4月14日。
最後の歌舞伎座公演での、楽屋風景です。

一番手前が私。真ん中が児太郎。奥が父。

拵えを始めているのが宣生。奥が橋之助。
一階の奥の左側の大きなお部屋で、曾祖父五代目歌右衛門以来、五代目福助、六代目歌右衛門おじ、そして父と代々成駒屋が入ってきた楽屋です。
私も8月の納涼歌舞伎公演のおりには、松竹プロデューサーと頭取の仲太郎さんの計らいで、20年間、この楽屋に入れていただくことができました。
20年前、児太郎でこの楽屋に入れていただいた時には本当に夢のようで、あの感激は忘れることができません。
私は元来、楽屋で揉めるのは嫌いで、どの楽屋に入っていようが、良い芝居さえご覧いただければそれで十分という考え方です。でも、成駒屋の先祖が愛したこの楽屋に、将来ズッと入れるような役者になりたいと考えておりましたので、あの時の嬉しさはひとしおでした。
歌舞伎座のサヨナラ公演がスタートしてからは、父の寄生虫になって、なるべくこの楽屋に入れていただくようにしておりました。
そして、本当のサヨナラ公演で、親子三代、弟親子の五人でこの楽屋に入れたことは、一生の良い想い出になることでしょう。
新歌舞伎座は楽屋の均一化をはかる構想なので、こういう思いはなくなるかと思いますが、『その楽屋に入れるような役者になりたい』と目標を持つのもまた芸動に精進する力になるような気がいたします。
夢は絶対に叶うものだと思います。寝ても覚めてもそれは叶うものと信じて進めば必ず良い結果が訪れるはずです。
『言霊』と言う言葉が好きです。自分の夢を言葉に出して念ずると事が成就するという話を聞きました。『言葉に出すと、それに魂がついて良い方向に向く。』というのです。皆さんも自分を信じて、夢に向かって歩んでまいりましょう。
夢は絶対に叶うから、夢を持って頑張りましょう。
(2010年4月14日 記)
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2010年4月15日更新(その2)
4月13日。その2。
歌舞伎座に行って来月のかつら合わせです。
こんな銅板なんですよ。これに羽二重生地を貼り毛を植えるのです。
前は藤額にして形を整えておき、おでこ、後頭部など当たっているところを、このように整形していきます。ここで慎重に合わせないと一ヶ月かつらが当たって痛みと戦わなくてはならなくなります。熟練のせいやんは名人の域です。せいやんに合わせてもらうと、痛くないんですね。さすがプロ。
(2010年4月13日 記)
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2010年4月15日更新(その1)
4月13日。その1。
今日は、ヨーロッパ公演の時、協賛・応援してくださった、日本マクドナルドさんへ、成果報告とお礼にうかがいました。
新宿にある本社はビル40階にあって、とても素敵な空間でした。
原田会長様は分刻みのスケジュールで残念ながらお時間が合わずお目にかかれませんでしたが、今回担当してくださった岡野様、またマーケティングの菱沼様が面会してくださいました。
まず名刺交換、岡野様の名刺がなんかギザギザなんです。裏を見たらマックポテト。他にビッグマック、コーヒー、シェイクなどの名刺があるそうです。
皆さんもご存知の通り、勘三郎兄さん率いる中村座の面々をコマーシャルに起用するなど、利益の還元を文化、スポーツ、教育などを企業として支援してくださっています。
原田会長は日本マクドナルドに移られてたちまち赤字だった会社を立て直された敏腕で、私も尊敬する会長です。
いろいろ勉強になるお話をうかがいました。
(2010年4月13日 記)
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2010年4月13日更新(その2)
4月12日。
今日はきのうとうってかわって寒いですね。東京は、きのうと12℃も違うそうで、この温度差に体がついていきません。
皆さんも体調崩されていらっしゃいませんか?
雨もまた冷たい。この雨で桜も散ってしまいそうですね。
歌舞伎座前のカウントダウンボードがとうとう20日を切ってしまいました。ひしひしと寂しさが押し寄せてきます。
現実を受け入れなくてはいけないのに、なかなか自分の中で消化ができません。
(2010年4月12日 記)
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2010年4月13日更新(その1)
4月11日。
今日は暑かったですね。
歌舞伎座にはエアコンが入っていました。
でも満員のお客様の熱気で舞台はかなり暑いです。客席の温度は大丈夫なのか?心配になってしまいます。
今日も台湾鍼の王先生に治療していただきました。今日も晴天で鼻がぐずぐずしていたら、仰向けになり頭を下げてゴマ油(四日市・九鬼産の透明なのが臭いがなくてベスト)を小サジ一杯鼻へ流し込みます。30分たって、もう片方に。
最初は半信半疑だったのですが、本当にスッキリ。
ぜひお試しあれ。
(2010年4月11日 記)
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2010年4月12日更新(その4)
4月10日。
花粉症で具合が悪い話をしていたら、いろいろな方からアドバイスをいただき、ありがとうございます。
今日は勘三郎兄さんに紹介してもらったリンパマッサージに行ってきました。
花粉症だと体が浮腫むのです。特に顔。深刻な問題です。以前、火曜サスペンスに出演した時、撮影場所が京都。しかも4月真っ只中の花粉絶好調の時期だったのです。朝の撮影と夕方の撮影で同じ日なのに、花粉でみるみるうちに顔が浮腫んで、フィルムがつながらなくなってしまったことがあったほど浮腫んでしまうのです。
そこで恵比寿にあるリンパマッサージの石井先生にうかがいました。リンパを良く流してくださって、本当にスッキリします。2時間たっぷりやっていただいて、身も心もリフレッシュいたしました。
(2010年4月10日 記)
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2010年4月12日更新(その3)
4月9日。
花粉症があまりにひどい話を朝日新聞の川口さんにしたら、自由が丘にある台湾鍼の王先生を紹介してくださいました。
台湾から日本に来て20年。台湾でも五指に入る腕前で、弟さんは台湾で一番の呼び声高い風水師だそうです。
少し問診して、いよいよ治療です。日本の鍼治療はよく受けるのですが、台湾鍼は初めてです。
台湾鍼は日本の鍼よりかなり太い。
まず首・肩の治療で鍼して秘法の漢方薬を塗ったグラスを押し付けると、鬱血していた血がグラスに、かなりたくさん出てびっくり。初めはピリピリしていましたが、後で、スッと軽くなりました。が、ただ『とっても痛い』
首・肩の後は、花粉症治療のため鼻に鍼をして遮血。これが半端なく痛い、痛い。拷問に近いです。でもあとは嘘のように楽になります。
これで花粉症が治るなら、王先生を信じて少し続けてみます。
効果絶大なら皆さんにもお知らせいたします。
ただ、本当に『痛い』です。
(2010年4月9日 記)
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2010年4月12日更新(その2)
4月8日。
今月は楽屋入りがゆっくりなので、今日は久しぶりにジムに走りに行ってきました。
帰国以来、運動不足だったので、かなりこたえました。なんでも、毎日、ちょっとづつでも続けないといけないことを痛感しました。
自分は本当に『三日坊主』なのですよ。かなりの決意をもって挑んでも、続かないんですよね。
なんかズッと続けられるコツみたいなのがあったら、ぜひ、教えてくださいませ。
ちなみに今のマイブームは『英会話』。ヨーロッパにいる間につくづく英語力のなさを痛感して、始めたのですが。
今回は特に固い決意をもってのぞんでおります。
応援のほどを。
(2010年4月8日 記)
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2010年4月12日更新(その1)
4月7日。
マリンバって楽器ご存知ですか?
鉄琴の大きな楽器を右手・左手に二本づつバチを持って音を奏でる幻想的な楽器です。
先日、友人に誘われて、マリンバ奏者の小森邦彦さんのコンサートに行ってきました。
私もマリンバの演奏を聞くのは初めてで、想像もつかなかったのですが…素晴らしい。
小森さんが奏でるマリンバの音色は幽玄的で、違う世界からの贈り物のようにさえ感じました。
小森さんのバチさばきといいますか、演奏方法がまた優雅で、見入ってしまいました。
ぜひ、皆さんも機会があったら『マリンバ』聞いてみてください。
(2010年4月7日 記)
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2010年4月8日更新
4月6日。
今日は花粉がひどいです。
もう立派な病気です。
皆さんは花粉大丈夫ですか?
(2010年4月6日 記)
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2010年4月6日更新(その4)
4月5日。
久しぶりに雨です。せっかくの満開の桜が散ってしまう。
この時期になると、日本人は本当に桜が好きなのがわかりますね。あれも、あの木も…桜が咲いて、その数の多さに驚かされます。
それにあちこちでお花見。それに連れてお花見渋滞。
でも桜に囲まれていると、日本人に生まれてきてよかったと痛感させられます。
雨の日って、却って花粉多くないですか?
重度の花粉症者の私は、くしゃみ連発。頭痛ガンガン。おまけに目はかゆいし、だるくて最悪です。
なにか花粉症の特効薬ご存知の方はぜひご伝授のほどをお願い致します。
今日は記者観劇日です。厳しい先生方の手前、なんとなく緊張してしまいます。しかしお仕事とはいいながら、1日歌舞伎漬けもかなりしんどいのではないでしょうか?先生方お疲れさまでした。
(2010年4月5日 記)
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2010年4月6日更新(その3)
4月4日。
ハプニングデーでした。
『助六』で、くわんぺら門兵衛の掛け声で、若い衆が助六にかかり花道に追われて入るクダリで、押し込まれた若い衆の一人が花道から落ちてしまったそうな。
これも、皆、一生懸命やっている中でのこと。リアルタイムで楽しめる?のが、芝居の醍醐味かもしれませんね。
そして…
夜11時頃、我が家の玄関に来客を知らせるチャイムの音が。『こんな時間に誰?』とインターホンを取ると、なんとご近所の海老蔵さん。
稽古中に私が引っ越してご近所になった話をしたら、さっそく訪ねてくださったのです。突然のご訪問に大爆笑。
お帰りには児太郎が海老蔵さんの新居まで送らせていただき、新妻さまにお茶までごちそうになってまいりました。
またのご訪問、お待ち申しております。
(2010年4月4日 記)
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2010年4月6日更新(その2)
4月3日。
今月は『だいたい5時に楽屋入り』という、今までに考えられないようなスケジュールなので、なるべく昼間の時間を有効に使おうと考えております。
今日は大好きな、ぼくもとさきこさんが下北沢のスズナリ劇場に出演しているので、拝見してきました。
数少なくなった伝統の小劇場…と云うより『芝居小屋』です。
楽しかった。
役者の皆さん生き生きしていて、作・演出の倉持裕さんも冴えていて面白かったです。
私もスズナリでやってみたいです。
こちらは5人芝居。歌舞伎座行くと150人芝居。規模は違っても、なんか笑ってしまいました。
(2010年4月3日 記)
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2010年4月6日更新(その1)
4月2日。その2。
『実録先代萩』が終演して、いよいよ『助六』の開幕です。
客席は異様なドヨメキで揚幕で出を待っていてもワクワクします。
まず、海老蔵さんの登場で大声援。
続いて玉三郎兄さんの揚巻の登場で大声援。
白玉の出番です。
あたたかいお客様の声援に迎えられて、花道をゆっくりと進むと、歌舞伎座でのいろいろな思い出が頭の中を走馬灯のように駆け巡り感無量になりました。
呼び止めが終わり、ふと三階席に目をやると、こぼれ落ちてしまいそうないっぱいのお客様に『本当に歌舞伎役者をやっていてよかった』と感謝の念でいっぱいになりました。
千秋楽まで精一杯勤めます。
(2010年4月2日 記)
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2010年4月5日更新(その2)
4月2日。その1。
とうとう歌舞伎座での最後の初日になってしまいました。
頭ではわかっていても、なかなかその事実を受け入れることができません。
今月、歌舞伎座は本当のサヨナラ公演なので、役者が150人以上出ています。
ですから楽屋はすごい人数で挨拶回りするだけで、人酔いしてしまいます。
先日、お話した通り、一つの楽屋に何人も入っているので、一度にご挨拶できずにみんなウロウロしてしまいます。
おかげさまで客席も三部とも満員札止めです。本当にありがたい。
私の楽屋は父・橋之助・児太郎・宣生と全員三部に出ているので、衣裳を着る場所もなく、代わり番で拵えしています。
サヨナラ公演に限らず初日は凄い緊張でなんとなく楽屋もピリピリしています。
(2010年4月2日 記)
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2010年4月5日更新(その1)
4月1日。
歌舞伎座最後の舞台稽古です。
なんでも『最後』がついてしまうのですが、ひとつ、ひとつがとてもいとおしいのです。人生もそうかもしれませんが、今まで『普通』だったことが、いざ失われてしまうようになると、『なんでもありがたく思いながら、ひとつひとつ、大切に感謝の念を持って生きていかなくては…』と反省させられます。『当たり前』に感謝しなくてはならないのですね。
歌舞伎の場合、お稽古が『読み合わせ』『附け立』『総ざらい』『舞台稽古』に分かれます。『総ざらい』は稽古場でほぼ本番通りに…ここで始めて柝が入ります、それまでは正面に狂言作者が前に座り、手を打っています。…まさに総ざらいをします。
その月の総ざらいを始める前に着到の鳴物が入り、全ての狂言の総ざらいの終わりに追い出しの鳴物を入れて、手を締めて大入りを祈ります…この風習には、串田さん始め、野田さん、えりさんも驚いていられました。宮藤さんにいたってはただただビックリなさってました。…サヨナラ公演の最後の総ざらいは『連獅子』の『総ざらい兼初日通り舞台稽古』で、もちろん手締めに参加しました。
今月は手に入った狂言が並んでいるので、稽古がとても短いです。『助六』は二度。
私は初舞台の児太郎襲名が『助六』の禿でした。その後、並び傾城、白玉を経て歌舞伎座で揚巻まで勤めさせていただき、今回、白玉を勤めさせていただくのも、何かの縁と大切に勤めます。
舞台稽古頑張ります。
(2010年4月1日 記)
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2010年4月2日更新
3月31日。
歌右衛門叔父のご命日です。
あの日は桜が咲きながら雪が降りました。年月はあっと言う間にすぎてしまいます。
朝、おじさまのお墓参りをしてまいりました。
はからず、今日は歌舞伎座さよなら公演の本当に最後の顔寄せです。
たくさんの俳優が歌舞伎座とのお別れ出演に参加しています。
楽屋も、父・私・橋之助・児太郎・宣生と五人部屋です。まるで俳優祭のようです。
心を引き締めて頑張ります。
(2010年3月31日 記)
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