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2011年10月13日更新
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2011年9月14日更新
今月、父 芝翫の代役で「沓手鳥孤城落月」の淀君を勤めさせていただいております。
これは明治30年、雑誌「新小説」に発表された坪内逍遥博士の史劇です。
後に曽祖父・五代目歌右衛門が当たり役としてまとめた「淀君集」の中にあり、初演が十一代目仁左衛門さんというのが意外です。
大坂夏の陣を舞台に、大坂城落城を描いております。「糒倉」の淀君は、錯乱状態にありながら「品格を失わぬように…」と曽祖父が残しております。
曽祖父は錯乱状態をリアルに演じるために、無理にお願いして、さる精神科をお邪魔し、患者さんの様子を見てきたとあります。
曽祖父以来、六代目歌右衛門おじ、父と伝わってきた成駒屋の芸で、「自分もいつか」と思っていたお役が突然の代役で実現し、緊張と責任を感じて大切に勤めております。
一生懸命勤めますので、応援に来て下さいませ。
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2011年7月6日更新
八月花形歌舞伎公演では、第1部で北条秀司先生の「花魁草」に出演いたします。
北条先生は歌右衛門のおじとも、様々な素晴らしい作品を残されています。
今回の「花魁草」は、梅幸のおじさまと菊五郎お兄さまが歌舞伎座でなさっていたのがとても面白く、心に残っています。
今回は、獅童さんと上演することになりました。
改めて台本を読んで、涙しました。
安政大地震で江戸を逃げ延びた、吉原の女郎と若い役者の淡い恋・・・そして力強く復興する江戸。
東日本大震災後の今、被災地の復興を心からお祈りしつつ、勤めたいと思います。
是非応援してくださいませ。
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2011年7月4日更新
皆様、梅雨も明けぬうちから猛暑日が続きますが、お変わりございませんか?
さて、今月7月新橋演舞場公演では、昼の部「楊貴妃」・夜の部「江戸の夕映」に出演しております。
どちらも大佛次郎先生の作品で、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、先生はあの「鞍馬天狗」など大作を残されています。
特に十一代目団十郎のおじさまのために様々な戯曲を書き下ろされました。
その中の一つが、この「江戸の夕映」です。
初演は今回海老蔵さんが勤める小六さんを十一代目のおじさま、団十郎兄さまが勤める大吉さんを松緑のおじさま、私が勤めるおりきを梅幸のおじさま、壱太郎さんが勤めるお登勢さんを父・芝翫が勤めておりました。
私も幼い時から、この頃の大佛先生の演出の様子を、父からよく聞かされておりました。
父は大佛先生ご夫妻にかわいがっていただいて、よく鎌倉にあるお宅にうかがわせて頂きました。
今回は、団十郎兄さまが演出も担当してくださいます。
稽古始めに、「新歌舞伎の感じではなく、未来に残る江戸世話物の作品にしたい」とお話がありました。
言葉通り、兄さまは稽古始めから猛暑に負けぬ熱血指導で、その意気込みが感じられます。
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2010年10月19日更新
「中国語の歌舞伎解説」
友人に頼んで、今月の新橋演舞場の演目のあらすじを翻訳してもらいました。
中国人のお友達がいたら、見せてあげてくださいませ。

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2010年9月13日更新
先日新橋演舞場出演の後に、12月国立劇場歌舞伎公演「仮名手本忠臣蔵」の宣伝用スチールの撮影がありました。
「仮名手本忠臣蔵」四段目の顔世御前です。
夫の塩谷判官が切腹してお焼香する場面、白無垢姿です。打ち合わせしながらの撮影です。
「仮名手本忠臣蔵」の道行のお軽
この舞踊は原作には無く、三段目の裏門にあたるものです。
お軽との逢瀬の為、松の間刃傷の際には、その場に駆けつけられなかった早野勘平と腰元お軽。ひとまずお軽の実家を目指している旅の様子を清元で踊ります。
お軽の衣裳ですが、たいていのお家は矢絣でつとめますが、成駒屋は御殿模様で演じます。
いろいろな意見を出しながら撮影をすすめます。パソコン上の写真を見ながら細部をチェックします。
「仮名手本忠臣蔵」の七段目お軽
勘平を主君仇討ちの一党に加わらせるために、お軽は身を売ります。場面は大星由良之助が遊興している京都・一力茶屋です。この場のお軽の衣裳は東京型は紋付、大阪型は胴抜きとなります。


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2010年9月9日更新
「俊寛」に登場する紅一点、海女千鳥です。
私は襦袢の衿を赤にしていますが、朱鷺色でなさる方もいらっしゃいます。
衣裳は、たこ足をかたどったたこ絞りの柄です。
帯はあんこ帯で蔦をあしらっています。
かつらは馬の尻尾です。「すすき」という差しものをしています。後ろを結ぶきれと前髪についているスガイトは、色を変えて朱鷺と赤、逆にする方もいらっしゃいます。衿の髪を結ぶ位置が微妙で、この位置で横向き姿がほぼ決まるといっても過言ではありません。

(2010年9月9日 記)
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2010年9月8日更新
今月も、新橋演舞場「秀山祭九月大歌舞伎」に出演致しております。今月私が出演しているのは、夜の部では「俊寛」、原作は近松門左衛門、本外題は「平家女護島」です。
享保四年、大坂・竹本座で初演され、翌年歌舞伎でも上演されました。
これを初代吉右衛門のおじさまが今の演出(鬼界ヶ島に一人取り残された俊寛が岩の上で失望し、幕になる)を考えられ、その演出のおかげで今となっては人気狂言となりました。
平家の世の中、法勝寺・執行である俊寛僧都の鹿ヶ谷の山荘での謀反の企てが発覚し、俊寛・丹波少将成経・平判官康頼が鬼界ヶ島に配流になっています。そこへお許しの舟が来るのです。
海女の千鳥と少将の恋を絡めた悲劇です。歌舞伎が初めての方でもわかりやすいお話です。
昼の部は「荒川の佐吉」、原作は真山青果、歌舞伎の本外題は「江戸絵両国八景」です。
二代目左団次さんと親交のあった真山先生が、昭和七年に十五代目羽左衛門のたっての依頼で書き下ろした作品です。同時に、新国劇でも上演されたようです。十五代目羽左衛門は美男子の代名詞のような方で声・顔・姿三拍子そろった天才です。その十五代目に粋なやくざをさせて、その粋なやくざに子供を育てさせる・・・、という趣向が話題となったようです。初演は十五代目の佐吉、七代目幸四郎の鍾馗、相政に二代目左団次、卯之吉は慶三(今の秀調さんのお父様)、お新は名人・秀調、お八重は名女形・松蔦という素晴らしい布陣でした。
今回も仁左衛門兄さんと吉右衛門さんががっぷり四つで、千之助くんが哀れに卯之吉を演じています。
なんにしても男の美学、男の意気地、男の友情・・・そして男の潔さ、今回の仁左衛門兄さんの佐吉には全てが備わっているような気が致します。
(2010年9月8日 記)
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2010年9月6日更新
先月は、八月花形歌舞伎で「京鹿子娘道成寺」白拍子花子をつとめさせていただきました。暑い中、皆様のご声援のおかげで無事つとめることが出来ました。
どんなお役でも毎日出の前は緊張しますが、特に「道成寺」は大曲中の大曲、いろいろな課題も持ちながらなので、特に緊張いたします。
襦袢を合わせて着付け開始、引き抜きなので下に浅黄色、上に赤の二枚重ねの衣裳を着けます。玉付きのタイハクと云う糸でザクザク縫ってあります。下に合わせて抜きやすいように、後見を勤める芝喜松さんが慎重に着つけていきます。きちんと前を合わせて慎重に上の赤を被せながら帯を締めます。
「道成寺」成駒屋の形
「道成寺」の最初、赤い衣裳を着て能がかりで踊るところを金の烏帽子をつけて舞うところから、俗に「金冠」と呼んでいます。
能がかりなので、お扇子でなく中啓を持って舞うのですが、たいていは「一つ牡丹」を使います。音羽屋さんでは、「一つ菊」などを使っていらっしゃいます。成駒屋は、「桜に曼幕」を使っています。
「花のほかには〜」で花道にむかうところで、成駒屋では真っ直ぐに向かいますが、音羽屋さんは蛇のうろこをかたどり、蛇行して花道に向かいます。舞台に戻り鐘を見上げるきまりになりますが、成駒屋は前傾姿勢で左足に体重をかけ見上げます。音羽屋さんは、後ろ足に重心をかけてきまります。ここで、成駒屋では中啓の骨の部分を持ち、音羽屋さんは中啓のほぼ中央(地紙の部分)を持って決まります。
急の舞が終わり、二の柝が入り、後ろの紅白幕を飛ばして長唄連中が登場します。バックの背景も、音羽屋さんとは塔とお寺の位置が逆になっています。最後の決まりも金冠を鐘の縄に掛ける手前どもと、自分で取り中啓にのせる音羽屋さんと違います。このほか細部は少しづつ違いますが、内容は大体同じです。
「道成寺」の帯
振り下げの宝づくしといって、おめでたい柄がついてます。中に福助の替え紋の裏梅もあります。しわにならないように、吊るして保管しておきます。「道行」があると、白地に宝づくしの帯を使います。
「道成寺」の手拭
たいてい定紋と替紋の比翼にします。私は、定紋の祇園守と福助の替紋である裏梅を使っています。ちりめん地で、「かめのぞき」という極薄い水色(瓶の中の水を覗いた時の色の意)を使用しています。白地を使われる方もいらっしゃいます。
「道成寺」の振り鼓
「そのにいろよく〜」で使う振り鼓は、銀地でやはり中央に定紋の祇園守、裏の持ち手は親指以外の4本指と小指を出して真ん中に3本指を入れて持ちます。
私にとっては、その方がスナップが効いて自由に使える気が致します。意外と軽いのですが、ここではいかに袂が暴れずに踊るかを注意して踊ります。実のところ踊りこんできてかなりへばっているころなので、ひじを殺して踊るように致します。
「道成寺」の押戻し
手に持っているのが、てつじょうです。漢字の「上」「下」と読めます。「上」という字で見得をきり、決まるときには「上」向きです。「下」という字で決まる時は「下」を向いて見得をきります。つまり、鐘の上ではてつじょうが「下」向きで決まるわけです。海老蔵さんと入れ替わり、座って見上げて決まるときはてつじょうが「上」を向いて見得をきるのです。
蛇体になってかぶる振り毛、手前どもは黒毛を使い般若隈をとり銀地のうろこ形で振袖になっています。ちなみに音羽屋さんは赤毛を使用し中振り袖です。
(2010年9月6日 記)
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2010年7月12日更新(その2)
7月11日。
「祇園祭礼信仰記」の雪姫はご承知の通り、歌舞伎の三姫にも数えられる大役で、手前共、成駒屋に取りましてもたいへんに大切にしているお役の一つです。
五代目歌右衛門が遺した「歌舞伎の型」にも、とても細かく型が遺されております。
私は福助襲名の時に初役で勤めて以来四回目です。
成駒屋の型ですと、雪姫が縛られる桜が上手にあり、歌舞伎座よりだいぶ狭い演舞場では、上手の離れ座敷が桜で隠れてしまうので、今回は下手に桜を置いたらどうか?とのアドバイスもいただいたのですが、先祖がかくまで細かく残し、また私は歌右衛門おじに入念に指導賜った手前もあり、お客様にはご迷惑かもしれませんが、やはり今回は上手に桜を置かせていただいております。
雪姫の型はまた次回。
(2010年7月11日 記)
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2010年7月12日更新(その1)
7月10日。
アメブロのほうにばかり更新して、申し訳ありません。
蒸し暑い7月公演も初日から一週間経ちました。
先月の博多ではぜんぜん雨が降らなかったので、今月は本格的な梅雨になったようで、不調な日が続いています。
皆様はいかがお過ごしでしょうか?
今月は昼の部の序幕に「名月八幡祭」な美代吉。切りの「金閣寺」では雪姫。夜の「暫」では女鯰とあわただしく大役を勤めさせていただいています。
「名月八幡祭」は黙阿弥の「八幡祭小望月賑」を原案に、大正7年に池田大伍が改作して、新歌舞伎の大御所、二代目左団次の新助。粋なものをさせたら一番だった、田圃の大夫こと、四代目源之助の美代吉で初演された作品です。
池田大伍はフランスの小説家、アベ・プレヴォのオペラにもなった長編小説「マノン・レスコー」の主人公マノンをイメージして描いたと言われています。
私も「マノン・レスコー」を読みましたが、実に自由奔放な女性で、なんだか憧れてしまうような人です。
美代吉を初演させていただいたのが、納涼歌舞伎の第一回目で、マノンも大いに参考にさせていただきました。
美代吉にはそんなに悪気がないのに、相手を深く傷つけてしまう。
因果のようなものさえ感じます。
でも、私は美代吉に共感するところが多くて、とても入りやすく好きなお役です。
(2010年7月10日 記)
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2010年6月28日更新
6月26日。
博多座千秋楽です。
おかげさまで連日いっぱいお客様が入ってくださって、大入も出ました。
博多のお客様もとても熱心に見てくださって、紅葉狩も好評でした。
また近いうちにうかがわせていただきたいです。
(2010年6月26日 記)
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2010年6月21日更新
6月16日。
『恋湊博多諷』は近松門左衛門が世話浄瑠璃として書いた『博多小女郎浪枕』を七世団十郎が歌舞伎化した下題ですが、確か私が小女郎を初演させていただいた平成6年11月の国立劇場では本下題の『博多小女郎浪枕』で上演したように記憶しております。
この時、毛剃は吉右衛門兄さん、惣七…宗七ではなく原作通り惣七だったと思います…が亡くなった宗十郎兄さん。この後、『心清町』『道行』『追分』の付いた半通しで、惣七の父・惣左衛門をやはり亡くなった又五郎おじさんが勤めていらっしゃいました。
なぜこんなに記憶が鮮明かというと、前の月が久しぶりの三越歌舞伎で『重の井』と『櫓のお七』を毎日二回公演で勤めていた上に、10月の月末に『羽衣会』があり、初演で『廿四孝』の八重垣姫を十種香・奥庭と勤めさせていただくので、三日おきぐらいに歌右衛門おじさまの岡本町の御自宅にお稽古にうかがっておりました。それはそれはきちんとお稽古を見てくださって、どうにかこうにか勤めたものの、三越歌舞伎の疲れと、八重垣姫のプレッシャー開けで、小女郎のセリフがなかなか覚えられず、苦労した覚えがあります。
あれから16年も過ぎたかと思うと、ただただびっくりであります。
そのわりに、私は進歩がありません。
(2010年6月16日 記)
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2010年6月17日更新
6月14日。
中日。
ちょうど折り返し地点です。
博多のお客様は暖かく、熱心に楽しんで見てくださるので、毎日が楽しくてなりません。
『紅葉狩』、最初の更科姫で出て行くと『あのお姫様、鬼なんだよ!』なんて説明している声が聞こえたり、後ジテで戦っていて維茂が悶絶するシーンでは『しっかり!』なんて声援が。
鬼で見得をするとどよめきが…
舞台と客席が一体になっているようで嬉しくて仕方ありません。
あと半分。精魂込めて勤めます。
皆さん、博多座へ遊びに来てくださいませ。
(2010年6月14日 記)
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2010年6月16日更新
6月13日。
博多は梅雨入りしたのに、一向に雨は降らずにじめじめした日ばかりです。
寒暖差は少なくなったものの不順な日が続いています。
皆様もご自愛のほどを。
(2010年6月13日 記)
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2010年6月14日更新(その2)
6月12日。
今月、『藤十郎』に名前替えなさって、初めて坂田藤十郎のおじさまのお相手に使っていただいています。
お側に出していただいて、底知れぬ色気。醸し出す雰囲気。
『宗七がそこにいる』という気がいたします。
毎日、刺激を受けて、少しでもあの『感じ』を学べたら幸いだと思います。
本当に素晴らしい。
小女郎を勤めていて、毎日…『惚れてまうやろ!』であります。
(2010年6月12日 記)
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2010年6月14日更新(その1)
6月11日。
今日は普段からとてもお世話になっている、大谷桂三兄さんの60歳のお誕生日。
やだ還暦です。
ご承知の通り30歳以上年下のちはるさんと結婚なさってルンルンです。
今月『鬼平』で歌六兄さん、芝喜松さんと三人で船に乗る場面があるのですが、実は御三人同い年で、幕内では『還暦船』と呼んでおります。
(2010年6月11日 記)
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2010年6月11日更新
6月10日。
黄砂か?花粉か?
小女郎に出る前、本当に突然、くしゃみ連発。頭グルグル。鼻水ズルズル。花粉症の症状が。
まさか、こんな時期になるとは思っていなかったので、クスリも持っていなくて。
一年中、この症状に悩まされているようです。
誰か助けてくださいまし。
(2010年6月10日 記)
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2010年6月10日更新(その2)
6月9日。
更科姫から鬼女へ




(2010年6月9日 記)
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2010年6月10日更新(その1)
6月8日。
今日は歌右衛門おじさまの大事なお弟子さんで私たちの師匠番でもある歌江さんの78歳のお誕生日です。
今月も『鬼平』でご一緒させていただいています。
18歳で歌右衛門おじさまの家に内弟子に入り、女形一筋で、本当によく形などを覚えていらして、私などは頭の上がらない先輩です。
ご一緒させていただいていると、出ているだけで雰囲気があって、女形さんらしい女形さんです。
ますます元気で頑張っていただきたいです。
(2010年6月8日 記)
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2010年6月8日更新(その2)
6月7日。
夜の部の最初の『鬼平犯科帳』は、ご存知の通り、池波正太郎先生作で、先代松本幸四郎おじさんから吉右衛門兄さんにバトンタッチしたお家の当たり芸です。
今回の『大川の隠居』は池波先生御自身が自選5編の一つに選んでいる作品です。
平成19年に吉右衛門兄さんが、この作品を歌舞伎化した時に久栄をさせていただきました。
池波先生は食道楽であられたのは周知の通りで、『鬼平』の中にも、いろいろな美味しいものが出てまいります。
この『大川の隠居』では軍鶏鍋が登場します。その五鉄の鍋なる軍鶏鍋をぜひいただきたいものです。
(2010年6月7日 記)
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2010年6月8日更新(その1)
6月6日。
今月の夜の部でご当地もの『恋湊博多諷・毛剃』が出ています。
この作品は近松門左衛門が1718年に世話浄瑠璃『博多小女郎浪枕』を歌舞伎にしたもので、七世団十郎が初演しました。毛剃が諫早産まれという設定なので団十郎は徹底的に諫早弁を勉強して、すべて諫早弁で舞台に掛けたら、江戸のお客様は何を言っているのか分からず、あわててにわか博多弁で勤めたそうです。
小女郎は二回目です。
平成6年以来…児太郎の生まれた年…で、その時の宗七は亡くなった宗十郎さんでした。
今回は尊敬する坂田藤十郎おじさまで、お側に出していただいているだけで、引き込まれるような色気とパワーを感じます。最高に素敵です。
『髪すき』前に舞台裏でお話くださる、昔の話が楽しく、勉強になります。
おじさまからなんでも学びたいです。
(2010年6月6日 記)
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2010年6月7日更新(その2)
6月5日。
今日はファンの方から三人の福助さんをいただきました。
三段階にお辞儀の仕方が違っています。
なにより感動したのが、平伏している福助さんにちゃんとお顔があるんです。
平伏している福助さんってたいていお顔が描いてなくて、ひどいものになると顔が平らに削られているものもあるんですよ。
鏡台の脇で三人の福助さんが優しく見守ってくれています。
(2010年6月5日 記)
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2010年6月7日更新(その1)
6月4日。
Ipad買いました。
超楽しいです。
これを機会にアメブロ始めようかと思っています。
もちろん『気ままに語る』も続けますが、より楽しんでいただけるように頑張るつもりです。
(2010年6月4日 記)
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2010年6月4日更新(その3)
6月3日。
博多座楽屋は超快適です。廊下は広いし、階段も楽、お風呂は大浴場みたいだし、なんといってもエレベーターがあります。
新橋演舞場の最悪楽屋からすると、天と地ほどの差があります。
お客席も、どの席でも見やすく、二階三階からも花道の七三がちゃんと見えます。
ロビーの売店も充実していて、筆なんてビックリするくらい種類があります。
博多座を東京に持ってきてほしいな。
ファンの方からカレンダー式の入浴剤をいただきました。日にち通り楽屋風呂で楽しんでおります。
(2010年6月3日 記)
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2010年6月4日更新(その2)
6月2日。その2。
『紅葉狩』は大好きな狂言です。10年前にさせて頂いて以来久しぶりに勤めます。
常磐津・長唄・義太夫の掛け合い…豪華じゃありませんか?
九代目団十郎様が能の『紅葉狩』を默阿弥に描かせて、明治20年に初演された比較的新しい作品です。
歌舞伎十八番、新歌舞伎十八番を勤める時は市川宗家にご挨拶にうかがうのがしきたりになっています。新古演劇十種の時は音羽屋さんにうかがいます。
さて、博多座初日。両桟敷席には芸者衆の総見でなんとも華やかです。客席も大入りでありがたいかぎりであります。
博多のお客様は反応が良くて熱いです。
大喝采のうちに終演。嬉しい限りです。
『鬼平』『小女郎』もつつがなく終わり、終演後は博多ではいつもお世話になっている、九州種苗の武内社長ご夫妻と、常磐津文字兵衛・兼大夫さんとお食事をしました。
(2010年6月2日 記)
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2010年6月4日更新(その1)
6月2日。その1。
いよいよ博多座の初日です。
ホテルから博多座まで歩いてすぐなので、朝は比較的に楽チンなのですが、序幕の『青柳硯』が25分しかなくて、『紅葉狩』は11時45分開演です。
大曲を午前中に踊るのはちとキツいです。
7時に起きてウォーミングアップ。ホテルにジムはあるのですが、11時からなので使えないんです。
お天気が良くて気持ちがいいです。
10時、楽屋入り。頑張ります。
(2010年6月2日 記)
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2010年6月1日更新
6月1日。その1。
先月、演舞場出演中に博多座制作の岸原さんが打ち合わせで来てくれた時に『特に博多は中国・韓国のお客様が多いんだから、中国語・韓国語のチラシ作りなよ』と提案したら、さっそく宣伝と協力して作ってくれて、いろいろな場所に置いてくれているようです。
どなたか歌舞伎のおもしろいサイト、立ち上げてくださいな。
(2010年6月1日 記)
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2010年6月1日更新(その3)
5月31日。
常磐津文字兵衛さんが芸術院賞の授賞式で帰京のため、『紅葉狩』の稽古はお休みです。
『恋湊〜』の稽古もないんです。とても荒い稽古でドキドキです。
『鬼平』の稽古だけだった私は5時過ぎに終わったので、なかなか行けなかった美容院へ…。
博多へ来るといつもお世話になる、天神IMSビル7階の『F・AVEDA』へ。そこのボスが工田さんという、私の兄貴分?です。
また工田さんのお母様というのが快活な方で、79歳とは思えない若々しさで、きのうも宮崎まで日帰りゴルフをしてきたそうです。元気の塊のような女性なのです。一緒にお話しているとこちらまで元気をいただけて、幸せな気持ちになります。
ゴルフも60歳で始められたそうで。人間なんでもチャレンジ精神が大事だとつくづく思います。
(2010年5月31日 記)
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2010年6月1日更新(その2)
5月30日。
勘三郎兄さんの55回目のお誕生日です。ちなみにうちの福太郎も誕生日です。
今日は那珂川で船乗り込みです。博多では年中行事になっているようですが、私は初めてなので、ワクワクしています。お天気にも恵まれて最高のコンディションです。
12時半に紋付き袴でホテルロビー集合して、ホテルハイアットに移動。まずそこで福岡市長さんをお招きしての式典。たくさん見物の方がみえていてまずビックリしました。
式典を終えて、いよいよ乗船です。私は染五郎さんと松緑さんと四号挺です。

広い川幅にたくさんの方が集まってくださり、橋の上にもギッシリお客様です。なんでも二万人の方が来てくださったそうです。
途中、助六の山笠の前で停泊して、博多の長唄連中の演奏の中、狂言名題を口上します。
三号挺で大騒ぎ、見ると、世話人の方が川に落ちてしまいました。洋服着ていると、なかなか上がれないんですね。
どうにか事なく済み、終着の博多座近くに来た時にハプニング。
翫雀さんの五号挺が、我々の四号挺に接触。一番前に座っていた染五郎さんが…もう少しで転落。私と松緑さんで支えました。
落ちていたら、トップニュースになったのに。なんて言わないで、落ちなくて本当によかったです。
(2010年5月30日 記)
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2010年6月1日更新(その1)
5月29日。その2。
稽古終了次第、博多へ行くので、七時の飛行機を予約していたのですが、稽古が予想以上に早く進み、四時半の飛行機に乗ることができました。
二時間のフライトで博多着。
さぁ、一ヶ月、博多で頑張るぞ!
(2010年5月29日 記)
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